境内に祀られている神様や建造物には、それぞれ奥深い由来や来歴があります。 |
1652年(慶安5年)に建立。その後、火災に遭ったが焼失を逃れた。1677年(延宝5年)に堺の鉄砲鍛冶、榎並屋勘左衛門の寄進によって仁王門が造営されたと伝えられている。この随身門は、1966年(昭和41年)、大阪府の有形文化財に指定されている。門の左右には剣と矢を帯びた高さ1.5メートルの檜造りの坐像、随身像が守っている。 |
創建以来、たび重なる火災によって焼失再建を繰り返し、現在の本殿と拝殿は、第2次世界大戦で焼失した後に造営されたもの。本殿は、屋根の片側が前方に延びて、長い庇になっている「流造り」で、997年に海船の濱に流れ着いた道真公ご自作のご神体が鎮座されている。拝殿は、戦火を逃れた金毘羅宮を移築して建てられたもので、亙にはそれを示す「金」のマーク(丸の中に金の字)が刻まれている。 |
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神社の守護、魔除けのために置かれている。口の形が、「阿吽(あうん)」を表しており、足に巻かれている綱は「浮気封じ」を意味している。「他の店に心を移さない」と解釈され、水商売繁盛にご利益があるとされている。 |
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重い台座を必死に支えているのは、いたずらものの天邪鬼(あまのじゃく)である。 |
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参拝する前に、手と口を清める場所。 |
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江戸末期から明治中期にかけて建てられた石柱で、いわば江戸・明治時代における伝言板。 |
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頭を上に向けているほうが大理石、もう1頭が御影石で作られている。道真公が丑年のお生まれであり、903年(延喜3年)2月25日の丑の日に没されたことから、全国の天満宮には牛の像が奉納されている。 |
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常楽殿は、菅原神社創建時の威徳山天神常楽寺にちなんで命名された建物で、寄棟屋根の上に切妻屋根を重ねた「錣(しころ)造り」の木造建築。ご祈祷や神前結婚式などに利用される「儀式殿」には、日本画の巨匠、菅楯彦、真人親子の合作「三十六歌仙」が飾られている。「祝詞殿」には栴檀の踏板、夫婦節の入った檜の腰板が張られた、豪壮な造りになっている。昔の応接間にあたる「帖台の間」の壁や襖は、武家屋敷を思わせる意匠がこらされている。 |
東門の脇にある社務所では、神職が神社の案内やご祈祷の受付、お神札の授与、祭事の催行などを行っている。 |
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武野紹鴎が愛用したと伝えられる椿の井。ホタルの生育にも欠かせない存在である。ただし、ホタル観賞会以外は非公開。 |
慶安年間(1648~1651年)に建てられた茶室。豊臣秀吉から贈られた八重咲きの摩耶(まや)紅梅にちなんで命名された。ちなみに、菅原神社の社紋も「梅鉢」である。 |